社会人2年目でうつ病に。。当たり前の生活って?産前・産後ケアを始めるまでの道のり②(^O^)

こちらの記事↓↓

6才でバスに轢かれて、足の指を2本 切断しました。産前・産後ケアを始めるまでの道のり(^O^)

を、とてもたくさんの方に読んで頂くことができました。

そしてたくさんのメッセージを頂きました。

本当にありがとうございます。

 

本気で産前・産後のケアを行っていくにあたって、

以前の私に、どんなことがあって

どんな思いで

産前・産後ケアを始めることになったのか。。

みなさんに知って頂きたいなと思って、

事故の記事を書きました。

 

もう一つ。

私には忘れる事ができない時代があります。

 

そのこともお伝えしたいと思って、この記事を書いたのですが

わたくし、スパークしすぎまして

とっても長い記事になってしまいました。

(なんと、記事3つ分です汗)

 

今、仕事やプライベートで

大きなストレスを感じていて、

それを我慢している人。

また、そのストレスのために身体に不調が出ている方は、

お時間のある時に、

ぜひ読んでみて欲しいなと思います。

 

 

私は、身体と心が健康であることの大切さ

身をもって経験したことがあります。

 

pirikamamu

 

 

 

作業療法士として札幌市の大きな病院で働き始めた7年前。

常に気が張っていて、

休みの日も仕事のことばかりを考える日々が続いていました。

そして、その時は突然やってきました。

 

『眠い。。』

 

何をしていても眠い。

仕事中も眠い。家に帰っても眠い。

どうしても眠たいので、昼休みには全ての時間を昼寝に費やしました。

 

終業後、同期のメンバーは病院に残って勉強をする中、

私はすぐに家に帰って、

ご飯を食べて、お風呂に入って

テレビも見ずに20時には就寝。

 

それでも日中眠い。

休みの日も、一日中眠っていて、

家から外に出ない日がほとんどでした。

 

朝起きて、仕事に行って、帰って、眠る

それを毎日続けることが、苦しくて仕方ない。

誰にも相談しないうちに

人々が普通に行っている

『当たり前の生活』が送れなくなっていました。

周りからみた私は

『やる気がなくて、

いつもあっけらかんとしている人』

 

と思われていたかもしれません。

 

周りから取り残されないように・・・

辛い様子を悟られないように・・・

自分を『普通の人』に見せることに、

必死になっていました。

 

家と職場の往復だけで、

生活のほとんどを過ごしていたある日、

事件は起きました。

 

病院では定期的に、患者さんの今後について

『カンファレンス』という場で多職種が話し合います。

 

私はあろうことか、

患者さんやご家族も参加する

とても大事なカンファレンスの最中に、

眠ってしまったのです。

 

それが看護師長さんの目に止まり・・・

上司にすっっごく怒られました。

『緊張感が足りない。』と言われました。

 

その時は

『なんで眠っちゃったんだろ。。気をつけなきゃな・・・』

位に思って、同期にも笑い話のように話していたのですが

その頃から身体に不調が出始めました。

 

体全体がむくみ、毎日めまいがする。

ひどい便秘で、肩こりもすごい。

真っ赤な血尿も出ました。

毎日、たくさんの薬を飲みました。

完全に自律神経のバランスが崩れていた状態でした。

 

でも、当時は

『私の頑張りが足りないからだ。

同期はみんな頑張っているんだから、

私ももっと頑張らないと。』

 

その思いで頭はいっぱい。

自分の身体からのSOSを完全に無視していました。

 

(その時の同期が

みんなとても勉強が出来る人達だったので、

実はすごく劣等感を感じていました。)

 

そんなギリギリな状態で働いていた時、

病院業務から、

小児リハの訪問業務への異動話が出されました。

 

ずっと憧れていた小児リハ。

すぐ上司に異動希望を出しました。

 

『新しい環境になったら、

少しは身体も良くなるだろう・・・』

そんな僅かな期待もありました。

 

ところが、

慣れない車の運転、

新しい分野の勉強

私に至らない所もあったけど、理不尽に怒られることも多く

体調は悪化する一方。

不整脈も出て、息が苦しくなるようになりました。

 

めまいがひどく、受診した病院では

メニエール病』と診断されました。

 

朝になると具合が悪く、常にマイナス思考。

仕事も、ポツリ、ポツリと休んだり、早退するようになりました。

 

『今日こそは仕事に行く!』

そう決めた朝でした。

 

いつものように駅のホームで

地下鉄を待っている時

ぼーっと線路を見ていました。

 

すると。

 

 

『あーーー。私、飛び込むな。』

 

 

ふと、そう思った自分がいました。

 

その瞬間、すごい恐怖感に襲われ、ガタガタ震え出しました。

もう死ぬんだ、私死ぬんだ。その思いが止まりませんでした。

 

上司に

『もう仕事に行けません。』

と泣きながら電話をし、

その日から休職することになったのです。

 

22歳で、私の人生終わったな。

と思いました。

 

家族は近くに住んでいたけれど、

当時は確執があり

ほとんど帰っていませんでした。

たった一人で、戦っていました。

 

 

 

続きます。

社会人2年目でうつ病に。精油がいつも守ってくれました。産前・産後ケアを始めるまでの道のり③(^O^)

 

すっごく暗い内容なんですけど、

ちゃんとハッピーエンドになりますからね!